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トップページPHOENICSと熱流体解析 > 流体解析の歴史的背景(1)

◎流体解析の歴史的背景(1)

現在、インターネットで流体解析、あるいは熱流体解析ソフトを検索すると、選択に困るほど多くのソフトウエアが表示されます。 汎用流体解析ソフトウェアが初めて世に出てから35年以上になる昨今、現在世界に流通している市販の流体解析ソフトウェア(CFDコード)のルーツを探ってみると、メジャーなコードのほとんどが英国の大学のある研究グループに行き着きます。


このコーナーでは、2008年にモロッコのマラケッチで行われた『ICHMT(熱及び物質移動のための国際センター) 国際シンポジウム』で米国ACRi社の創業者で最高経営責任者であるDr. Akshai K. Runchal の書いたプロシーディング 『BRIAN SPALDING: CFD & REALITY』を元にCFDコードの誕生から今までをシリーズで、辿ってみたいと思います。
第1回目はまず、そのABSTRACTから紹介します。



【第1回】ABSTRACT

Brian Spaldingは、CFDの発明者でも名付け親でもありません。 しかし、彼は他の誰よりもCFDの実践(エンジニアにとって関心のある問題への応用)を行いました。
後に『CFDへのインペリアル・カレッジ(IC)アプローチ』として知られるようになる基本的技術手法を開発した作者やチームの重要な部分はSpalding教授によって導かれました。
今日の市販の流体解析ソフトウェアのルーツを辿ると、そのほとんどが60年代半ばから70年代半ばにまたがる10年の間に「ICグループ」によって行われた業務に行き着くことになります。


ここでは、インペリアル・カレッジでの流体解析の発展の重要な瞬間に、ICグループのリーダーとして積極的に貢献したBrian Spaldingが果たした役割をトレースしました。
この10年の間に彼の極めて重要な洞察はしばしばブレークスルーを果たし、重要な瞬間に焦点を再指示しました。
また、流体解析Dが猛烈な進展を見せたこの10年間にICグループが逃したチャンスを模索してみます。

■参考■

インペリアル・カレッジにおける研究が元になって作られた主な流体解析コード
◎PHOENICS(CHAM)
◎FLUENT(Ansys)
◎Star-CD(Adapco)
◎FLACS(CMR)
◎STREAM(Software Cradle)
◎FIRE(AVL)

 

【第2回】Brian Spaldingの生い立ち(ICグループ以前)

今回は、世界における流体解析コード開発の中心となったロンドン大学インペリアルカレッジ(IC)で そのグループリーダーとして活躍したProf. Brian Spaldingの生まれからICグループができる前までの彼の経験を辿ってみましょう。
そこには後に、汎用流体解析ソフトウェア『PHOENICS』を開発する際にベースとなったものが見えてきます。


<INTRODUCTION >
D.Brian Spaldingは、ロンドン郊外の絵のように美しい町New Maldenで1923年1月9日に生まれました。
この町は、当時Meldoneという名称で呼ばれていましたが、ドゥームズデイ・ブック (イングランド王国を征服したウィリアム1世が行った検地の結果を記録した世界初の土地台帳の通称)としても呼ばれています。
D.Brian Spaldingは、9歳から18歳までキングス・カレッジ校に通い、その後オックスフォード大学に入学、1944年クイーンズ大学で理工学の学士号を取得しました。
その後、シェル石油で1年間働き、1945年に航空機生産省に新しく設立されたロケット推進機関(RPE)に参加しました。

RPEでは、ドイツに派遣され「メッサーシュミットMe163」のロケット推進モーター用噴射剤がヒドラジン水和物および過酸化水素であったのをケロシンと液体酸素に変換するために従事しました。
ドイツでの仕事は、1946年まで続きましたがその後、イギリスに移動し継続しました。
その少し後に、英国科学公務員の再構成により、ブライアンはイギリス国立物理学研究所(NPL)の計量部門に配置転換となり、彼は失望しましたが、計装と計測に関する技術と科学を熟知することになり、彼のキャリアの次の段階において大いに役立ちました。


1948年にICI( Imperial Chemical Industries,)フェローシップを得たブライアンは、彼のRPE での研究を背景に博士号を取得するためにケンブリッジ大学(ペンブルック・カレッジ)に行き、液体燃料の燃焼(例えばディーゼルエンジン)に関する研究等を行いました。
D.Brian Spaldingは、エンジンや液体燃料についてはおそらく彼の指導教官よりも詳しく知っており、自分の力で研究を進め、新しい指導教官が任命されても結局のところ研究のために何をすべきかを助言したのは、Spaldingでしたまったく博士号に関する限り、D.Brian Spaldingは「処女懐胎」だと主張することができるでしょう。 そして彼は、1952年に博士号を取得しました。



【第3回】初期の職歴 (1951-1959)

2010年に『ベンジャミン・フランクリンメダル』を受賞する理由となったD.Brian Spalding による流体解析に対する多大な貢献の原点は、ケンブリッジ大学での博士課程と彼の論文『Spalding, 1951』にまで遡ります。
それは、Kruzhilin[1936]の伝熱概念とEckert [1949]の質量輸送概念を、von Karman [1921]の基幹流体力学的概念に取り込んだ素晴しい論文でした。  彼は、燃焼有りと無しの場合の熱と質量輸送の一般理論を生み出すためにこれらの概念を統合しました。

その過程で、化学反応速度定数は質量輸送が限界速度に達するまでは燃焼に影響を及ぼさない、という誰も考えもしなかった予測を行っています。
この予測は後の実験によって裏付けられていますが、ブライアンは定常層流火炎伝播とかなり異なる現象に対するものであるにも関わらず、Zeldovich and Frank-Kamenetsky [1938]とSemenov[1940]の概念を適用することによって、これらの限界速度を推定しました。
これは火炎消滅の予測のための一般的な理論的枠組みにつながり、燃焼エンジニアのための技術革新[Spalding, 1955]となっています。
火炎速度の範囲予測研究を単一曲線へ落とし込む 'centroid rule' [Spalding, 1957]を含む、燃焼に関する彼の他の顕著な貢献は、燃焼率測定のための液膜冷却バーナーと、 消炎条件の革新的測定法 [Spalding, 1951]及び火炎速度測定のための多孔質冷却バーナーなどがあります。

彼はまた、電気的燃焼類似体[Spalding, 1957b]を開発しました。私の知る限りでは、これはそれまでに無いユニークな概念であり、 私はこれの他には電気的燃焼類似体を知りません。博士号を取得した後、ブライアンはケンブリッジに少しの間滞在し、その後1954年にロンドンのインペリアル・カレッジ機械工学科の Prof. Owen Saundersに応用熱学のリーダーとして採用されました。ブライアンはそこで燃焼分野の独創的な研究を行い、 液滴の蒸発燃焼において重要かつ革新的な貢献を果たしました。この研究は、最終的には現在普遍的に採用されている ‘B’ ファクターとスポルディングスにつながりました。 ブライアンの統合に対する尽力はHeat and Mass transfer [1963]という彼の素晴しい本となり、 この分野のその後の作業に大きな影響を与えました。



【第4回】その後の職歴 (1960-1964)

1950年代後半、ブライアンは「ほとんどの工学的な流れにおいて壁面せん断が重要な役割を持つ」という問題に目を向けました。彼は壁面近傍の乱流速度式は、慣習的に「粘性低層」、「遷移層」、「完全乱流層」の3つのパートで表現されることに気付き、これに対する型にはまらないエレガントで非常に簡単な解法を見つけました。それはY+の関数としてのU+ではなくU+の観点からY+を表現することで、この極めて重要な閃きが、粘性領域、遷移領域、対数領域をカバーする連続関数『壁法則(Wall rule)』 [Spalding,1961] の開発を可能にしました。壁面境界層、噴流、後流などをそれぞれが独自の物理学、数学、専門用語を持つはっきりと違った流れとして処理する従来の方法は、彼にとって全く馴染めないものでした。

これらの流れは主にせん断によって支配されているので、その基礎となる物理学、数学は同一の表現でなければならない、と彼は主張しました。
これは後に『乱流境界層、噴流と後流の統一理論』[Spalding, 1964]へと繋がります。この理論は、全てのそのような流れを「普遍的」連続則と壁面と後流領域を表すのに適した2部構成の方程式で「普遍的」に表現できるという注目に値する洞察に基づいていました。
彼の研究室の学生の多くは統一理論 [e.g. Escudier and Nicoll, 1966, Jayatillaka, 1966, Escudier, 1967] のために必要な連続式および他の入力を導き出すことに取り組みました。 

その後まもなく、ブライアンは最適な方程式を探す代わりに単純に区分的多項式あるいは線形式として、または支配する初期条件と境界条件から「重み関数」を導き出すことによって、方程式を「普遍化」できるという結論に達しました。

これは、与えられた流れに合わせて「理想的な」プロファイルを見つけなければならないという過酷な要求からあなたを解放します。 しかし、このアプローチは時折偽の又は異常な解を生成することがすぐに判明し、「統一理論」のためのブライアンの探求はまだ続くことになります。

彼のキャリアを通して繰り返されたテーマ、重要な目的は、現場のエンジニアが簡単に使え、そして役に立つシミュレーションツールを開発することでしたが、彼は問題の断片的な解決策をひどく嫌いました。そのため、「統一」が重要な目標となります。 熱および質量輸送の概念やそれらとは一見異なるせん断流であろうと、それらを統合することがテーマ、目標となりました。

また、彼は異なる背景を持つ幅広い視聴者に伝えるために、明確かつ説得力の面で彼のアイデアを表現する驚異的な才能を持っていました。  彼は、熱と物質移動の概念を表現するための明確な方法論を開発しました。
また、彼以前には異なっていた化学エンジニアと機械エンジニアが使用する用語と言語の統一のためにもある程度の功績が認められています。

 
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